chamber [tʃéimbər]

【他動】〔薬室に〕弾を込める
【名】〔区切られた〕室

リスナーが楽しみ、
ミュージシャンが楽しみ、
ハコ側もそして企画者も楽しめる。

そんな空間が理想なんだ。
誰かの未来の思い出のために。

ムロタマユ Murota Mayu

東京生まれの気まぐれ音楽イベンター。2019年、某科学雑誌の編集部で派遣として働く(現在は退職)かたわら、イスラエルのエレクトロポップバンドGarden City Movementを渋谷WWW / 心斎橋CONPASSへと1人で招聘し、運よく成功。

その直後、中銀カプセルタワーのマンスリーに2ヶ月在住、レポをTwitterに上げてバズり、Yahoo! ニュースに載ったため、裏方でいるのを諦めた。最近はなんちゃってサウナ旅ライターデビューも果たす。

よく食べ、よく遊び、よく喋るひと。

 

Bio

1984 ::: 元日AM 0:03 に生まれてスタート

 

1987 ::: 中央線沿線、武蔵野界隈で育つ。弟が熱を出した日、3つ先の駅にある幼児教室に1人で行ってしまう3歳児(実は母親が後を付けてきていたことを30年後人づてに知る)。比較的神童

 

1988 ::: 幼稚園。木造校舎の和式トイレが嫌で、たびたび仮病を使う。すきな音楽は、荒井由実「雨の街を」、大瀧詠一「雨のウェンズデイ」など。雨は嫌い。よく喋る

 

1990 ::: 小学生。夜更かしがすきで遅刻しがちになるも、教室に入るとき注目を浴びるのが嫌でたびたび仮病を使う。成績はなぜか優秀。比較的いじめられっ子。商店街のひとたちとはだいたい仲良し。突然、藤子・F・不二雄先生を崇めるようになる

 

1996 ::: 中学生。藤子・F・不二雄、逝去。「もう先生の新作が読めない」と大泣きし、葬式へ。恥ずかしがって出せなかったファンレターのことを後悔し、会いたい人には生きている間に会っておかないといけない、という強迫観念が生まれる

父からいろんな音楽や美術や漫画を教わり、さらに男もおぼえ、女子校で浮きはじめる。成績は急降下

 

2000 ::: 1人でルーリードのライブへ。ジントニックを頼み、一口舐めて残す。菊地麻衣子にHARCO(現・青木慶則)の音楽を教えてもらう。

 

2003 ::: 日記的なブログを開設(現在は閉鎖)。大したアクセス数はないが、のちに夫となる青年が「ここでおすすめされてた藤子・F・不二雄SF短編集を買いました」とコメントをくれる。のちにバイトに誘って仲良くなる

 

2004 ::: [空白期間]

 

2010 ::: 母が乳がんで亡くなる。母同士の仲がよかった同級生・菊地麻衣子が葬式に参列、アーティストになるためニューヨークへ行くと告げられる。以来、なんとなく連絡を取り合うように

 

2011 ::: 藤子・F・不二雄ミュージアムへのび太っぽい格好をして行ったら、館長(藤子プロ社長)と共に写真を撮られ、公式ブログに載る。以来「藤子・F・不二雄先生」でGoogle画像検索すると、この時のムロタが出るようになる(2020年現在も継続中)

 

2012 ::: なんとなく武蔵野美術大学 芸術文化学科にセンター試験で入学。同級生は10つ下だが、経験値の低さゆえそれなりに馴染む。デッサン未経験で参考作品に選ばれたりして調子にのる

62歳の父が「もう一花咲かせたい」と引っ越し。4人で暮らしていたマンションに老いた猫と残される(弟は一人暮らし)。同年、9月3日ドラえもんの誕生日の100年前に、部屋が余っているからと声をかけて結婚。語呂が決め手となり、夫がムロタ姓に。婿養子ではない。父も再婚

「28歳、人妻女子大生」という肩書きを得たのでネタにして過ごす

9月に埼玉のフェスぐるぐる回るのキュレーターとなり、高校のころ菊地麻衣子に教えてもらったHARCOに念願の出演依頼をする。10月に武蔵野美術大学芸術祭ステージ企画の運営を務め、成果を挙げる。キュレーターにハマる

 

2013 ::: 大学のとある企画助成金を活用すべく、友人と「音楽イベント企画集団 音めがね」を設立。”美術と音楽の密接な関係“を標語に、文化同士の垣根の払拭を目指す。学内で音楽に関する講演とライブのイベントを行い、HARCO、光田康典、中野テルヲ、田中公平、ヤマザキマリなどを招く

渋谷でベルギー人に道を訊かれて、以来1〜2年に1回は行き来する仲になる。このころから海外の人たちとの交流をおそれなくなる。なお、TOEICは440程度

Sofar Soundsのスタッフになる。キュレーションや機材の手配などを行う(2016年、より自由なキュレーションと空間を求めて離脱

 

2015 ::: 大学の芸術祭(学園祭)で3DAYSフェス「オトトヒト」を作る。ステージも自分たちで組み、ペトロールズ、トリプルファイヤー、小林うてななどを呼び、成功。卒業制作はこのステージ企画をつくるまでの自分のドキュメンタリー。評判は割とよかった

中学のころから飼っていた猫が亡くなり、夫と泣く

 

2016 ::: 藤子・F・不二雄先生も愛読されていた、科学雑誌出版社Nの編集部に派遣として勤務。編集のはずが、デザインなどなんでも屋っぽい仕事をする。天文台の先生の原稿にあったスケールの大きすぎる表現「われわれ銀河系」を「私たちの住む地球のある天の川銀河」にしぶしぶ修正するなど

野良猫(当時1歳)を保護。かわいい

10月、台湾のレストランでかかってた音楽に聴き惚れる。イスラエルのミュージシャンGarden City Movementだと知る

 

2019 ::: Garden City Movementに酔っ払いながらメッセージを出したら、招聘することに。慌てて税務署に行き、開業する。屋号をムロタのムロ(室)からchamberとし、ロゴタイプをニューヨークでアーティストとなった菊地麻衣子に依頼

渋谷WWWと心斎橋CONPASSを借りる。PA、撮影、照明以外の裏方業をほぼ1人でやる。渋谷WWWは満員御礼。イスラエル大使館の人と仲良くなる

それからはイベンターとしていろいろやりはじめる。ARCHIVE参照

中銀カプセルタワーに住む。レポを書いたTwitterが7.9万いいね(当時)をもらい、銀座生活がYahoo!ニュースに載る。フォロワーが増えて動揺

8月、出版社を退職

11月、フィンランドのサウナに衝撃を受け、のめり込む。noteで記録を書きはじめる

 

2020 ::: なんちゃって旅ライターとしてデビュー

6月、自宅セルフロウリュサウナをつくる

11月、サウナと自分をもっと深く知るための”サ本”「savon」を、タレント・イラストレーターの安住麻里とともに刊行。各温浴施設のみならず銀座 蔦屋書店でも取り扱われる

12月、ムロタが繋げた縁によって、青木慶則(ex-HARCO)菊地麻衣子にアートワークを依頼したアルバムが発売。20年経って伏線が回収される

 

2021 ::: フィンランド大使館およびフィンランド観光局から、フィンランドサウナアンバサダーに任命される

 

こうやって書きだしてみると、何年もかけた壮大な伏線回収が次々に起きていると気づく。これからも伏線をつくっては回収していく所存。ヨシナニ〜。